鈴木一史 代表取締役 / 左官職人
代々の左官屋に生まれて50歳で気づいた「 水脈のような豊かさ」
- 左官ブログ

最近、次男(11歳)が左官の仕事に興味を持ち始めました。まだ何かが決まったわけではないけれど、その様子を見ていて、ふと自分が跡を継いだ時のことを思い出しました。
父が本音では望んでいたこと
私の父は、本音では私に家業を継いでほしかったのかもしれません。ただ表向きは、そう強くは望んでいなかったように思います。
むしろ「大学に行って学びを深めなさい。」と私が18歳の高校卒業の時に伝えられました。
父親は、本当は勉強をして左官の道以外を選択してみたかったという願望があったのかもしれまん。
ただ、当時の時代背景上、祖父から有無を言わさず継がされたという経験を持っていたが故に、私には選択肢を与えたかったのでしょう。
跡取りとして生まれた以上、選ぶ余地なく道が決まっていた ・・・
そこにはどこか、ネガティブな重さがあったのだと思います。
父はきっと、私には同じ思いをさせたくなかったのでしょう。
「継がなくては」という思い込み
そんな父は、51歳という若さで亡くなり、18歳だった私は、当然のように跡を継ぐ”べきだ”と考えてこの道に入りました。
家業だから、継ぐのが当然だ。そう思い込んで、この30年、左官の仕事を続けてきました。
振り返れば、頃張ってきたというよりも、義務を果たしてきたという感覚の方が近かったかもしれません。
数少ない昔の写真、地元小学校の上棟式のもの
50歳になって気づいた、水脈のような豊かさ
50歳になり、30数年この仕事をやってきた今、その思い込みがずいぶん一面的だったことに気づきました。
家業という環境があること自体が、実はとても大きなアドバンテージだったのだと。
技術も、信用も、素材への理解も、一代では決して積み上げられないものが、すでに用意された状態でそこにあった。それはまるで、地下を流れる水脈のようなものです。目には見えないけれど、確かに脈々と流れ続け、今の自分を潤している、そんな恩恵にようやく気が付くのです。
そこまでに要した時間は30年。随分と時間がかかる出来の悪いアトツギです。。。。
千数百年、途切れずに紡がれてきたもの
伝統というのは、一人ひとりの思いが積み重なってできていくものなのだと思います。
ちょうど今(2026年7月)、サッカーのワールドカップが開催されていますが、一人の選手の成長だけでなく、チームとして、そして国としてレベルアップし、次の世代へと強さを受け継いでいくストーリーには、誰もが心を動かされます。
それと同じことが、日本の建築文化にも言えるのだと思う。
左官の技術で言えば、飛鳥時代の漆嗆から現代に至るまで、実に千数百年、途切れることなく受け継がれてきました。
今の世代である私たちは、どんな仕事であれ、その途方もない物語の一端を、たまたま今紡いでいる存在にすぎません。
歴史の文脈を感じることで自分の在り方も鮮明になる
義務ではなく、気づいてほしい魅力として
しかも、この豊かさは過去から未来へと一方向に流れるだけのものではなく、私たちが生きるこの日本の国土、風土そのものと深く関わっています。気候、土、木、そこに暮らす人々の美意識 ─ そうしたものすべてが絡み合って、一つの技術文化を育んできました。
左官とは、そういった地下に眠る水脈に種をまいて、花を咲かせる仕事。
たかが壁のなかに、住まう人の想いと、繋いできた伝統が交差する一点に今を感じ、豊かさと言う花を咲かせるのだと思う。
そのことに気づいたとき、私はこれを「継がなければならない義務」としてではなく、「気づいてほしい魅力」として次の世代に伝えたいと思うようになりました。
次の世代へ、静かに手渡すもの
次男が左官に興味を持ち始めた姿を見て思うのは、無理に継がせたくはないということです。ただ、この仕事が持つ豊かさ、水脈のように流れてきたものの存在には、気づいてほしい。それは義務としてではなく、選び取ってもらえたら、という願いに近いものです。
日本人としてのアイデンティティ、その奥にある美意識。それは声高に語られるものではなく、静かに、けれど確かに、心のよりどころになり得るものだと感じています。
30年かけてようやくそこにたどり着いた今、これから先の自分の立ち振る舞いが、この水脈を次の世代へどうつないでいくかを決めていくのだと思います。
















