左官への想い

thought

左菊(さきく)は、大正11年(1922)頃より、代々左官の仕事に携わり、百年続く左官一家として代々左官技術を受け継いできました。

現在の五代目左菊では「和風建築専門の左官職人」として、鈴木家の長男である一史(ひとし)と、次男の善也(よしや)の二人が「左菊」として左官仕事をさせていただいています。伝統的な工法から、現代建築と左官技術の融合にも積極的に向き合い、技術を磨き、人を育て、「これから先の百年後にも残る仕事を」という想いと共に、伝統を受け継ぎ革新を続けながら、その時代に合った暮らしの真善美(しん・ぜん・び)を、左官を通して表現し、伝え続けていきます。

左菊のこれまで

左菊(さきく)は、さかのぼること大正時代から続く左官職人の家系で、 古い記録を辿ると初代の鈴木富田から、二代目菊一、三代目武男、四代目富也、そして現在は五代目一史と続きます。

初代の鈴木富田が早くして亡くなることとなり、富田の嫁であったシズの二人目の旦那として二代目の菊一が鈴木家に入りました。菊一は腕の良い左官職人だったようで、富田が亡くなる際の遺言として「鈴木家には菊一を迎えるように」と遺し、その遺言通り菊一が鈴木家に入りました。

二代目菊一には息子がいたのですが戦病死したため鈴木家の跡取りが不在となり、三代目の武男と妻のシズ(偶然にも先代の女将さんと同名のシズ)が、夫婦養子で鈴木家に入り左官家業を継ぐことに。武男も元々が左官職人で、鈴木家に入ってからも家業の左官を引き継ぎ、三浦の町を中心に左官職人として数々の仕事をしてきました。

「左菊」法人設立

明治、大正、昭和初期、戦時中、戦後の激動の時代の中で、直接の血筋が途絶えようとしながらも受け継いできた左官家業。三代目武男により昭和36年に「有限会社左菊(さきく)」として法人を設立しました。

左官の「左」と、二代目菊一の「菊」から屋号としたのが左菊の由来。菊一の左官職人の腕の良さを引き継ぎ、戦後の高度経済成長の波とともに、左菊として商売の規模を拡大させたのが武男。武男の兄も左官業だったため、左菊の抱える左官職人の数も増えながら、それでも現場が回らない時には武男の兄の手も借りながら、左菊を企業としても大きく拡大させていきました。

四代目急逝と五代目左菊へ

三代目武男の実子長男である富也と次男と共に、左官業を受け継ぐため左官職人の道へ。時代は高度経済成長期を抜け、次々と新しい建材資材が導入される時代に。昔ながらの左官技術もどんどん減っていき、早く安く仕上がる建材に入れ替わるなど、左官の仕事も様変わりしていきます。

平成3年に富也が四代目左菊に就任。このころには、従来の左官の仕事がどんどん減っていく時代に入り、左官職人がどう生きていくのかを模索するような時代になっていきました。左菊も当然その時代の変化の波にさらされます。

昔ながらの伝統的な左官技術の伝承と、新しい時代の左官職人の仕事の在り方の移り変わりのタイミングを迎えようとしている時代の流れのなか、四代目に就任してわずか3年、平成6年に富也が急逝します。

父の急逝と左官職人の決心

当時、私(五代目一史)は18歳の時でした。まだ私は高校卒業間際の3月。私はまだ左官職人になろうとは思っていませんでした。高校卒業後に一旦浪人し、大学入学してその間に左官職人になるかどうかを決めようとのんびり考えていたところ、急に父が亡くなったのです。

父の急逝をきっかけに、左官職人になる決心をしたのを覚えています。

当時は大きな決断をしましたが、今振り返ると自然な流れだったなとも思えます。そこからの人生は左官職人としての人生を歩むことになります。

人間としても職人としても未熟だった私ですが、父の弟である叔父や身内の職人の方々を中心に、左官の技術や職人としての生き方を教えていただきました。
母も私が一人前になるまでずっと支えてくれました。周囲の多くの方々が「一史を早く一人前の職人に育てなければ」と応援してくださり、叱咤激励を受けながら、職人として修行していきます。

修行、模索、五代目左菊就任、左官名人榎本氏との出会い

左官職人になると決めてから修行の日々を過ごし、12年後の平成18年に五代目左菊として左菊の代表取締役となりました。

時代の移り変わりとともに、現代的な建材を使う左官現場が増える一方で、昔ながらの伝統工法や土壁の仕事も再び注目を集めるようになり、土を扱う左官技術をより深く学ぶ必要性を強く感じるようになりました。

しかし、父が急逝したことで直接教わる機会を失い、先祖代々伝わってきた「土」の知恵についても、教えてくれる人が誰もいないという状況に置かれましたが、仕方なく自ら学ぶしかないと覚悟を決め、インターネットで調べ、気になる左官職人や建築家の方々にメールで問い合わせ、直接会いに行く日々が続きました。

土の研究家であり、一級建築士でもある田村和也さんのご紹介で榎本真吉さんと出会うこととなり、私の相談事にも快く耳を傾けていただき、様々なご助言をいただきました。そうして、年に数回は必ず榎本さんのところに訪れご指導を仰ぎました。

榎本さんのご紹介で、左官名人の久住章さんの現場にも入らせていただく機会も得ました。3ヶ月という短い期間でしたが、後の左官人生に大きな気づきと成長のきっかけを得る貴重な体験となりました。

時には榎本さんの土の研究内容について「おう、お前これどう思う?」と、いきなり質問をされることもしばしば。榎本さんは、一方的に助言を伝えるよりも、一人ひとりに自ら考えさせられるようなやり取りが多かったように思います。ぶっきらぼうな江戸っ子気質な方でしたが、人間味あふれる、とても優しいお人柄でした。

左官職人として第一線を退かれた後も、左官を学ぶ人や土に関わる後進のために左官職人だけでなく、陶芸家の方や土に関わる多くの人のために門戸を広げ、若い人たちにオープンに関わられていた榎本さんとの時間は、左官技術や土のことだけでなく、職人として、そして伝統や伝承についても学ばせていただきました。

その後も多くのご縁に恵まれ、一般的な左官仕事だけでなく、お茶室や蔵の左官仕事、大津磨き、高級マンションのエントランスなど、左官職人として憧れの現場にも携わることができました。
さらに、古民家再生やかまど作り、土のタイル製作など、伝統的な土の建築技法に触れる機会にも恵まれました。

加えて、日本国内にとどまらず、フランスへ赴き海外の土の建築や漆喰技法などを学ぶ機会も得て、左官技術に対する理解と視野をいっそう広げることができました。
これらの経験は私の職人人生においてかけがえのない財産となっています。

受け継いできたもの

こうして振り返ると、左菊の左官業の歴史は、血縁が途絶える、伝統が途絶えるという困難を乗り越えながら、その度に左官という伝統家業が磨かれ、紡がれてきた家系ともいえます。

初代富田と二代目菊一とのつながり、二代目菊一と三代目武男との関係も直接的な血縁は繋がりませんでしたが「腕の良い左官職人を迎える」という左官家業の縁で繋がりました。

そして、四代目富也と五代目となる私一史、そして私の弟善也は、血縁はつながりましたが、父の急逝により代々受け継がれてきた左官技術を父富也から直接受け継ぐことはありませんでした。その代わり身内の左官職人さんに教えていただきながらも、外の職人さんから教えを乞う機会を作らざるを得ないという状況が生まれ、そのおかげで身内以外の様々な腕のある左官名人の方達の技術も取り入れることができたのだと、今となっては思います。

父の急逝によって決意した左官職人の道。「人間万事塞翁が馬」と言いますが、急逝したことがきっかけで自分自身で左官の道を自ら突き進んだ結果、左官職人としてユニークな経験ができたとも言えます。そういう意味では「お前の好きなようにやれ」という父からのメッセージだったのかもと今にして思います。

時代を超えて受け取るもの

地元の三浦市三崎にある、昔からある看板建築の修繕に入った時のこと。その現場は大正後期〜昭和初期の建造物で、おそらく90年以上は前に建てられたもの。当時の左官職人の技術が詰まった芸術的な左官仕事です。

その修繕に、当時使われていた特殊な砂利を使う必要があり、全国各地からその砂利を探していました。なかなか見つからなかったのですが、実は左菊の倉庫の奥の方に、探していたその砂利が保管されていました。

二代目、三代目がおそらく、次の代で修繕する必要があるだろうと、ずっと保管していたものだと思います。

道具についても、私の代では使うことのなかった特殊なコテが倉庫に残っていて、その使い道がわからず榎本さんへ見せに行ったところ、磨きのコテだとわかりました。漆喰を鏡面のように磨き上げる、とても高級な仕上げ仕事。そのコテも高級なコテだということです。

このように残されているものを改めてみてみると、とても多くのものを受け継いでいるのだということが、30年左官職人をやってきて理解できるようになってきました。

左菊として受け継がれてきた有形無形の様々なもの。私にとっては小さい頃から身近にあるものでした。おじいちゃんも左官職人、父も左官職人、小さい頃から左官倉庫があって、漆喰や土の匂いなども日常のこと。

身の回りのものが当たり前にあるものとして、当たり前に過ごしてきましたが、この歳になってようやく自分の身の回りのあるものは当たり前のものではなく、残したいという先代の意思の元に大切に受け継がれてきたものだということが今でこそ理解できました。

父が急逝し、当時の私が味わった絶望と同じように、時には身内の苦しみや悲しみも含みつつ、それでも左菊を残したいという想いが紡がれ今の左菊があるんだと、ようやく気づけるようになりました。

これからの左菊

初代・左菊の時代においては、今で言う「伝統工法」と呼ばれるものは、特別なものではなく“当たり前”の建築様式でした。
木造、竹小舞、土壁で家を建てる——それが当たり前の建築手法でした。

やがて戦後の高度経済成長期を迎え、新しい建築資材や工法が次々と生まれ、「現代工法」と呼ばれる技術が主流となりました。

そして令和の今、かつての「当たり前」であった工法が、“伝統”として再び注目されています。30代、40代の若い世代を中心に、土壁や漆喰などの伝統的な建築手法や左官仕事が見直され、その価値が再評価されつつあります。

現代工法と伝統工法を融合させた「和モダン」と呼ばれるスタイルもまた、新しい時代の建築として注目を集めています。

左菊は、時代の変化とともに左官家業を通して、その流れを五代にわたり体験してきました。
変化に抗えない部分には柔軟に対応し、残すべきものは丁寧に守り、革新すべきところには恐れず新しい風を取り入れる。

その時代ごとに「何が求められているのか」を感じ取り、左官仕事として昇華し、お客様へとお届けする——
この姿勢こそが、左菊が代々受け継いできた仕事に対する姿勢です。

そして今、私たちが大切にしているのは「時代が移り変わっても、変わらない豊かさとは何か」を問い続け、その答えを左官の仕事を通して体現し続けること。

これが今の左菊の使命であり、この時代に何が求められているのか?の答えです。

暮らしの真善美とは

「真善美(しんぜんび)」という言葉があります。古代ギリシャの哲学者「プラトン」が残した言葉です。

真善美とは

人間がより良い人生を創造していくための価値観として、真理(真)、道徳(善)、感性(美)の三つの観点が相互に作用しながら、理想とする普遍的な価値観を形成するための基本的な考え方を追求する姿勢を示しています。——プラトン

時代の変化に関わらず、人間が追い求める幸福や理想の生き方、そして根源的な価値観は普遍であるとプラトンは考えました。その思想は現代に至るまで哲学として研究され続け芸術分野や教育分野でも大切な考え方として語り継がれてきました。

プラトンは、人が持つ普遍的価値を表すものとして、次の三要素——「真・善・美」を定義しました。

<真>=真理・真実
<善>=道徳観
<美>=美しさ・感性

「時代が移り変わっても、変わらない豊かさとは何か」を、左官を通じて問い続けると決めた今の左菊では、暮らしの「真・善・美」を左官技術を通じて追求し表現する姿勢こそが、今の時代の左官に求められていることだと、プラトンの真善美になぞらえて定義しています。

最適な答えは時代によって変化する。しかし、暮らしの真善美はいつの時代も変わらない。その時代において暮らしの真善美を左官で体現し続けることが、これからの左菊の使命だと考えています。

暮らしの真善美を左官で体現する

左菊が考えている「暮らしの真善美」とは何か。

左菊が考える暮らしの真善美とは

<真>住む人の暮らしの理に叶い
<善>長く残る価値としてより良いつくりを目指し
<美>住む年月を重ねるごとに美しさを感じられるような住まいを実現する

この3要素を時代の変化とともに追求し続け、その家に住む人たちの暮らしがより良いものになるよう左官技術の提供を通じ、人々の暮らしの真善美を体現していくこと。

この暮らしの「真・善・美」を左官で体現し、左菊で培った100年の伝統を大切にしながらも柔軟に時代の変化に合わせ、今後の100年に残る仕事をし、左官技術と職人をつなぎ、未来に残していきます。

暮らしの真善美を左官で体現し
次の100年へつなぐ

左菊のことがわかる
小冊子あります

左菊のことがわかる、小冊子。
左菊の公式LINEにお友達登録いただきましたら、無料で配布させていただいております。

個人のお客様も、お取引先や施行会社様、デザイン事務所様もぜひご覧ください。

和風建築を建てたいとご検討されている方、ご興味がある方に。左菊のことと、和風建築の左官仕事のことがよくわかる小冊子です。

今日の左官仕事
左官への想い

左菊について

about

左菊は初代から数えると、代々100年余続く左官一家。
現在は5代目左菊である鈴木一史が親方兼代表取締役、弟鈴木善也と共に、100年残る仕事を通じ、仕事を「残す」だけでなく、100年後の技術と職人を「つなぐ」ために、日々左官の仕事に向き合っています。

設計事務所様
施工会社様へ

fot
Industry

私たちにできることは、そこに住まう人の落ち着きと安らぎと共にその仕事が100年を超えて残る、そんな想いで住まいや空間を創ろうとすることだけです。
左官屋だけでは、本物の仕事は残せない。
ぜひ、ご一 緒させていただけると嬉しい限りです。

和風建築専門の左官仕事なら、左菊(さきく)へ

和風建築、和風モダン住宅、伝統工法の住宅、社寺建築、お茶室といった左官仕事なら、100年の伝承と伝統の技術の左菊へ。
デザイン・設計事務所様、施工会社様からのお問い合わせから、個人のお客様のお問い合わせもお気軽にご相談ください。
伝統的な技術から、「こんなこともできるの?」という柔軟な姿勢で、暮らしの豊かさを左官で仕上げます。
新築、リノベーションから小さな左官仕事まで、丁寧に対応させていただきます。

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